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*Profile*

2007年12月・自宅の庭「SNOW GARDEN」にある
私設カフェ「STAR FIELD CAFE」にて。


 

このページでは、自分から見たわたしのことを紹介します。

名前*田上 弘美(タガミ ヒロミ -HIROMI TAGAMI-)
   「田んぼの上に『美』を広めて全てを緑色に輝かせる」という意味の名前だと思っています。

なりわい*『美』にたずさわる「ひと」と「ひと」をつなげてもっと『美しく』すること

趣味*おもてなし、漂白

特技*写真を撮ること、詩小説を書くこと、植物を育てること、
   アロマオイルやハーブティーの調合、 おいしいご飯をつくること、
   何かにちょっとしたひと工夫を加えること、あと、下手ですがイラストも少しだけ描けます。

好きなアーティスト*(ジャンル不同、順不同)
    ベベチオ/白倉由美/ Quinka, with a Yawn/HARCO
    /キリンジ/航海/桐原小鳥/中野シズカ/孔雀洞雑貨舗 etc
   (もっともっといますが、
    もうちょっと落ち着いてから別のところにちゃんと書きます。)

好きな場所*自宅(特に庭)/神奈川県の海沿い/久米島/ニューカレドニア
       /ほったらかし温泉/吉祥寺/カフェ/自然のいっぱいあるところ

性格*わりとまじめ。人間にも動植物にも物に対してもかなりオープンで結構優しいほうかも。
   面倒見はいい方。  ……でも、自分で自分を決めつけるのはもうやめました。 


将来のゆめ*「おばさん」にはならずに、歳をとり、「かわいいおばあちゃん」になること。

     

 

*略歴*

*住まいから見た略歴*
1970年*ニューカレドニアにて鈴木家の第2子・長女として誕生。
     5つ違いの兄とふたり兄妹。
     生後4ヶ月で帰国。3歳までを東京都田無市で過ごしたのち、千葉県千葉市へ。
     大学卒業までを家族4人で過ごしたのち、社会人になるとともに単身再び東京へ。
     吉祥寺近辺で4度引っ越し。2001年に結婚。現在三鷹市在住。
     自称「お気楽ぐ〜たら家」(本業は舞台音響家)の夫と2人暮らし。


*学歴、職歴から見た略歴*

1989年*千葉県立千葉東高校卒業→日本女子大学家政学部被服学科入学。
     大学入学当初はアパレル関係の会社勤務を夢見ていたが、
     大学3年の春に演劇と文字通り「劇的」な出逢いをしてからその道へ。

1992年*大学3年の冬に演劇集団キャラメルボックスの製作会社・株式会社ネビュラプロジェクト
     社員見習いとして通いだし、翌年そのまま正社員に。
     同年9月、キャラメルボックスで当時演出助手だった相良佳子、北村文乃と組み、
     初めて社外でのプロデュース公演「プロデュースチーム☆カレイドスコープ『久しぶりに君の声を聞いた』」を制作。
     大失態をやらかし、加藤社長とキャラメルボックスの成井豊氏に叱られる。

1993年*リベンジしようと「プロデュースチーム☆カレイドスコープ 第二回公演『月狩夜(つきかりのよる)』」制作。
     結果借金ができ、借金返済後カレイドスコープを解散。

この頃 *TEAM 発砲・B・ZIN(作・演出 きだつよし…2007年解散)、
      惑星ピスタチオ(作・演出 西田シャトナー…2000年解散)、
     ランニングシアターダッシュ(作・演出 大塚雅史…2005年解散)
     らと出逢い、社内でキャラメルボックス以外の劇団への制作協力をする部署「他劇団制作部」を作らせてもらう。
     各劇団の票券管理や、当日の受付業務などの補助に携る。
     一方、ノリで個人的に役者・平野くんじ(当時TEAM 発砲・B・ZIN所属、現在フリー。「平野勲人」と改名)と
     作・演出家であり役者のトクナガヒデカツ(当時は1999クエスト、現・X-QUEST)のユニット「ポリゴン」の
     公演を年に1回だけ制作。

1998年*自らが企画し、社内で初めてプロデューサーを任された TEAM 発砲・ダッシュ公演「BRIDGE」の公演初日
     が開けた翌日に倒れる。
     1ヶ月休養したため、その直後に担当していた劇団M.O.P.の公演制作も投げ出した形になり、
     内外に多大な迷惑をかける。
     結果、キャラメルボックスの制作デスクとして、いちから制作を勉強し直すこととなる。

1999年* キャラメルボックスで経験したことが血となり肉となりはじめたこの時期、「ポリゴン」の最終公演
     「POLYGON4」に、今まで応援してくださったお客さんを全員招待するという暴挙に出る。

2000年*他劇団制作部に戻る。そして、個人的にもランニングシアターダッシュに製作プロデューサーとして入団。
     大阪と東京を往き来する生活が始まる。

2001年*3月、「他劇団制作部」と「演劇チラシ折り込み代行部」あわせて「制作支援部"Next"」と改名。
     この業務を持って独立するよう加藤社長と約束。
     同11月、結婚して「田上」姓にかわるも、制作ネームは「鈴木」のままにすることに。

2002年* ダッシュのプロデューサーとして挫折。ただの制作部員に。
     同年2月、元ダッシュの劇団員・岩田能子(たかこ)と高市正行が旗揚げしたプロデュースユニット
     「いわたかproduce」の受付手伝いに入る。
     同年4月、株式会社ネビュラプロジェクトからの業務譲渡を受け、
     10月、個人事業「ネビュラエクストラサポート・通称Next」立ち上げ。代表をつとめる。
     ランニングシアターダッシュを退団。

2003年*事業はなんとか黒字に。
     個人的には同年11月のいわたかproduce#2公演から正式に制作協力として関わることに。

2004年* 1月、事業を法人化。「有限会社ネビュラエクストラサポート・通称Next」の代表取締役となる。
     同年11月、いわたかproduce #3「rash days」制作。

2005年*同年10月、いわたかproduce #4「電車を降りれば、すぐそこは君の家。」制作。
     会社が軌道にのったこの年12月、鬱病にて倒れる。

2006年*自宅療養の身でありながら、同年11月のいわたかproduce #5「サプ・ライズ」では
     周囲の協力もあり何とか制作として受付に立つ。

2007年*自宅療養。いわたかproduce の劇団化に伴い、Nextの了承を得たうえで劇団員に。
    アロマテラピーやハーブについて学び始め、 同年8月、アロマテラピーアドバイザーの資格を取得。
     同年10月よりセリスト・スクールにてアロマセラピストを目指して本格的に学び始める。
     同時期にいわたかproduce #6「この どうしようもない 1日の終わりに」の制作を経験し、
     人生観が180度変わる。鬱が急激に回復期へ。

2008年*映画監督・酒井翔、劇作家・演出家である Mariと3人で映画制作 ユニットRGB
    立ち上げ。(2008年2月1日、個人事業登録済。)
     Mariが2003年に上演し、自分が大感動した作品 「ひやしんすの根」を映画化。
    演劇界に戻る前に、自分が病気や演劇を通じて知った様々なこと、そして周囲のひとたちへの感謝の気持ちを込めて、
     自分なりに体得した「わたしの世界の法則」に従って本気で「プロデュース」するために鋭意活動中。

    尚、2008年3月10日現在、Nextには取締役として在籍。精神的には元気なものの、
    
未だ体力が本調子ではないため自宅療養中。
    アロマセラピストの勉強も進行中。

 

*現在、主に関わっていること*

映画制作ユニット RGB
映画監督・酒井翔、劇作家・演出家である Mariと3人で立ち上げたユニット
2008年2月1日、田上弘美の個人事業として登録済。
現在、映画「ひやしんすの根」を制作中。


有限会社ネビュラエクストラサポート・通称Next

元代表取締役で、現在はただの取締役です
いまはたまに顔を出して、取締役会だけは必ず行くようにしています。

いわたかproduce
私が制作という名で「おもてなし係」として所属している劇団

まりりんC
映画制作ユニットRGB の「Red」でもあり、
当サイトでも 詩小説 > Hinata でひなた役を演じてくれている
役者・鞠みちえさんのホームページ。
私が作成と管理人を(一応)しています。

ベベチオ
関西在住の二人組のアーティスト。
2002年に劇的な出逢いをしてからというもの、
個人的に東京でのチラシ配布の お手伝いをさせてもらってます。

 


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