しばらく続いた静寂を打ち破ったのは老婆のほうだった。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。温かいって感じられるうちは、まだだいじょうぶ。」
ぼくは驚いた。もしかしてこの老婆は全てを知っているのではないだろうか?
ぼくの大切なひとが、ぼくを置いて逝ってしまったことも。
ぼくが何もかも嫌になり、ゆき場を求めてこの海辺を彷徨っていたことも……。
何から聞き返していいのかわからず振り返ったぼくの目に映ったものは、
カウンター、老婆、そしてその向こうにある飾り棚に置かれた一枚の写真。
そこには、歳の頃なら30代くらいの女性が三人、笑顔で写っていた。
しばらくそれを見ていたぼくは、老婆と目が合い、こう話しかけていた。
「……あの、突然泣いたりしてすみませんでした……。
……本当に温かいです。ありがとうございます。
……あ、こちらはお一人でやられているのですか?」
そのときぼくは、カウンターから出てきた老婆を初めて真っ正面から見た。
彼女の頬は、70代くらいであろうと思われるその落ち着いた雰囲気とはかけ離れた
健康そうな うすべに色をしていた。
長い白髪をひとつに纏めた髪には飴色の髪飾りが光っていた。
上品な白いレースのブラウスに、少女のような薄いピンク色の花飾り。
茶色のカーディガン、紫色のスカート……。
ぼくは急激に、世の中の色や形が、
その体温を持って以前のようにまた鮮やかにはっきりと息をふきかえしたのを感じた。
「……そうね、一人のときもあるし、二人のときもあるかしら。」
その言葉の意味をもっと深く聞きたかったが、
初対面で図々しいのではないかという思いと、
初対面にも関わらず号泣してしまった気恥ずかしさから次の言葉を継げずにいた。
すると老婆はこう続けた。
「人はいつも一人で、けれどいつも誰かと寄り添わずにはいられないから……。」